オランダと日本:AIをめぐる独自戦略

オランダの建物に掲げられたEU旗とオランダ国旗、並びに工場内で稼働する産業用ロボット。オランダのAI規制と日本のAI応用の対比を象徴するイメージ ビジネスと戦略

はじめに

AI開発競争は米国と中国が先行し、技術と資本を背景に覇権争いを繰り広げています。その一方で、欧州はまったく異なる道を選びました。AI分野での遅れを認識している欧州は、技術のスピード競争ではなく、「規制と倫理」を軸にした国際的なルール作りを通じて、自らの存在感を高めようとしているのです。これは、SDGsと同様に「ルールメーカー」としての地位を確立し、主導権を握ることを狙った戦略です。この点については、本ブログの「欧州はAIで何を狙うのか──規制と倫理で築く独自戦略」で詳しく説明しています。

その中でオランダは、EUの中でも一歩先んじて独自の対応を進めています。本稿では、こうしたオランダの独自の動きについて触れながら、日本の立ち位置や取るべき戦略について整理し、AIガバナンスの方向性を考えます。


オランダの独自の動き

1. 先行的な規制導入

オランダ政府は、AI Actの全面施行を待たずに、一部の義務を国内法として先行適用する準備を進めています。これは「規制の空白期間」を埋め、企業や国民が早めにAIガバナンスへ適応できるようにするためです。

背景には、EUのAI規制=AI Actを「AIの成長を阻害する足かせ」とみなすのではなく、「信頼性のあるAI開発を促す基盤」と捉える姿勢があります。規制は成長を妨げるものではなく、むしろAIの健全な普及と競争力強化を支える仕組みだという発想です。

2. 責任あるAIの推進

オランダではAI Actの議論が始まる前から、「人間中心」かつ「責任あるAI」を社会に実装するための取り組みが進められてきました。「責任ある AI」 とは、さまざまな AI システムを信頼できる状況、社会の原則が尊重される状況を確実に保つために執られる一連の手順の総称です。これには、公平性、信頼性、安全性、プライバシーとセキュリティ、インクルーシブ性、透明性、アカウンタビリティなどの問題に対する取り組みが含まれるだけではなく、最近では倫理だけでなく、衡平性も考慮する必要があるとされています。医療・教育・公共分野における倫理指針の策定や実証実験は、EU内でも先駆的です。今回の先行適用は、こうした国内方針をEUの規制と整合させる「自然な延長」と位置付けられます。

しかし、アムステルダム市は生活保護の虚偽申請を検出するAI「スマートチェック」の開発に着手し、専門家の助言を受け、バイアス除去や透明性確保など「責任あるAI」のベストプラクティスをすべて実行したが、技術的調整では解決できない根本的な構造問題が浮き彫りになって失敗に終わっているなど、まだまだ課題は多く残されています。

3. 官民連携の強化

さらにオランダは、政府・大学・研究機関・スタートアップ・大手企業といった幅広いプレーヤーとの連携を強化しています。規制遵守を単なる義務にとどめず、「透明性や説明責任を通じて国際競争力を高める」ための枠組みとして活用している点が特徴です。これはAIの分野に限らず、農業・食料分野におけるワーへニンゲン大学での取り組みなど、オランダが得意としているアプローチ手法といえます。


日本の立ち位置

AI戦略とガバナンス

日本は、AI開発を国家戦略の中心に位置づけ、米国や中国のような大規模な開発競争とは異なる道を歩んでいます。これは、AIのイノベーションを阻害することなく、倫理的かつ安全なAI社会を構築することを目指すためです。 この方針のもと、日本では「AI事業者ガイドライン」が策定されており、AIのライフサイクル全体を通じて、開発者や事業者が遵守すべき原則が示されています。これにより、法的な拘束力を持たせることなく、柔軟かつ迅速なAIガバナンスを実現しようとしていますソフトロー・ガバナンス)。 また、日本はG7広島サミットで「アジャイル・ガバナンス」(状況の変化に応じて素早くルールを見直す仕組み)という概念を提唱し、国際的なAIガバナンスの議論を主導する姿勢を見せました。これは、AI技術の進化速度に合わせて、規制を柔軟に調整していくという考え方です。


日本の強みとAI応用

日本のAI戦略は既存の強みとAI技術を組み合わせることに重点を置いています。

  • ロボット技術: 産業用ロボットの分野では、日本は世界市場の約半分を占めるほどの圧倒的な強みを持っています。この強みをAIと連携させることで、製造業のDX(デジタルトランスフォーメーション)やサービスロボット分野での応用が期待されています。
  • 日本語データ: 複雑な日本語を正確に理解する高品質なAIモデルは、質の高い日本語データなしには開発できません。日本にはこの日本語データという独自の強みがあり、NTTが開発した大規模言語モデル「tsuzumi」はその代表例です。
  • 軽量化技術: 少ない電力でAIを動かす「軽量化」技術は、家電や自動車、ロボットなど、様々な機器にAIを搭載する上で不可欠です。この技術は、日本の製造業の競争力をさらに高める鍵となります。
  • 特許取得: AI関連技術の特許取得数において、日本は世界のトップクラスに位置しています。これは、研究開発が活発に行われていることを示しています。

課題と今後の展望

一方で、日本はAI分野への投資額が米国や中国に比べて少なく、AI人材の不足も大きな課題となっています。また、AIの導入率も欧米に比べて遅れており、特に製造業などでの全社的なDX展開が今後の課題とされています。

結論として、日本は厳格な規制よりも柔軟性を重視したアプローチで、独自の強みを活かしたAI戦略を進めています。この戦略は、技術開発を優先する米国や規制を重視する欧州とは異なる、独自の立ち位置を築こうとするものです。


日本とオランダの比較:共通点と相違点

共通点

  • 倫理と安全性への配慮:両国ともAIの開発と導入において人間中心のアプローチを重視し、倫理的・法的課題への対応を不可欠と考えています。
  • イノベーションの推進:AI技術の社会実装を積極的に進める姿勢を共有しています。
  • 実用化・社会実装の重視:オランダはEUのAI Actに基づき、AIを社会課題の解決策として捉えており、日本もビジネス応用と社会実装を強く意識しています。

相違点

  • 規制アプローチ
    • オランダ:AI Actの枠組みを前提に、厳格な法的拘束力を持つ規制を導入。EU全体の統一ルールと整合しつつ、国内で先行適用する姿勢。
    • 日本:包括的なAI規制法はなく、「AI事業者ガイドライン」などソフトロー中心。イノベーションの阻害回避を最優先。
  • 市場の位置付け
    • オランダ:EUという単一市場のゲートウェイとして、EU全体の戦略と連携することで影響力を拡大。
    • 日本:独自の技術基盤をもとに国内市場を支えながら、国際的議論で存在感を高めようとする。
  • 強みと注力分野
    • オランダ:脱炭素化やクリーンエネルギーなど、社会課題解決分野でのAI活用に注力。
    • 日本:製造業のロボット技術や家電・自動車分野の軽量化技術など、ハードウェアに強み。

結論

オランダは、EU規制を「抑制」ではなく「機会」と捉え、先行的な国内適用を通じて倫理的かつ競争力あるAI環境を築こうとしています。規制を積極的に受け入れ、それを市場での信頼性や透明性につなげていく姿勢は、EU内でも際立っています。

一方の日本は、欧州ほどの厳格な規制は設けず、ソフトローを中心に柔軟性を重視する戦略を選んでいます。既存の産業基盤やロボット・軽量化技術といった強みを活かしながら、国際的な議論では「アジャイル・ガバナンス」という独自の視点を提示しています。

両国はアプローチこそ異なるものの、「倫理」「人間中心」「社会実装」という価値観を共通基盤として持っています。オランダの規制先進性と、日本の技術力や実装力が交わるとき、そこには米中やEUとはまた異なる第三の選択肢が浮かび上がります。

それは、スピードだけを追うのでもなく、規制だけで縛るのでもない、「信頼性と実用性を両立したAIのモデル」です。日本とオランダが連携することによって、両国単独では到達しえない可能性が開かれる──そのシナリオこそ、これからの国際AI戦略における大きな示唆となるはずです。

日本企業への示唆

日本企業にとっては、オランダのAI先行規制に積極的に関与し、EU市場での規制対応を早期に学ぶことが大きなアドバンテージとなります。同時に、日本の強みであるロボットや軽量化技術を欧州の社会課題(脱炭素化、医療、教育)と結びつけることで、新たな市場機会を切り拓けます。規制を負担と考えるのではなく、「国際的に通用する信頼性の証明」と捉えることで、日本とオランダが共に描く未来は現実のものとなっていくでしょう。

本稿では、オランダと日本のAI戦略を整理しましたが、技術や規制だけでは触れきれない社会の深い課題にも目を向ける必要があります。
気候変動や都市交通など、「厄介な問題(Wicked Problem)」にAIがどのように貢献できるのか──人間との協調や倫理の視点を含めて考えたい方は、以下の記事で思想的に整理しています。
AIと厄介な問題──万能ではないからこそ問われる人間の役割

コメント

タイトルとURLをコピーしました