感謝しかない商社マンの37年間 〜運命の出会いがくれた波乱万丈な人生〜

オランダの街路と青空に伸びる影。定年退職後に始まる新しい人生の道を象徴する風景。 コラム
オランダでの最後の駐在生活。新しい道へと続く朝の風景。

本日9月30日をもって会社を定年退職となりました。振り返ってみればあっという間の37年間でしたが、実に運の良い商社マン人生を送らせてもらったなぁと感じています。

振り返ってみると、自分の力で何かを切り開いて来たというより、色々な人と巡り合わせてもらい、色々な機会を与えてもらい、他の人が経験しないようなことも経験できました。

そういう意味では感謝しかないのですが、誰に感謝をすべきなのでしょうか?こんな時だけ神様にと言っても、現実味がありません。

第1志望でなかった会社に入社した「運命の一言」

そう思って振り返ってみると、実に多くの人が私の人生に関わってくれたと思います。

まず、今の会社は第1志望の会社ではありませんでした。しかし、人事の課長が「お前は絶対にうちの会社に向いてるから」と最後まで押してくれました。結局、第1志望の会社を受け続け最終的に落ちてしまってから、再び門を叩いた私に、課長は「だから、うちの会社の方がお前には絶対に向いてるって」と笑いながら採用してくれました。この方の一声がなければ、今の私の人生はありません。

最初の配属も、石油化学やエネルギー関連のプロジェクトがやりたかったのに、その年は意中の部門が新人を取らないという中で、財務部の外国為替に配属になりました。時代は日本経済がバブル時代に突入していく真っ只中で財務が最も輝いた時代でした。まさしくその時代をその中心で過ごすことができたのです。この時から上司に恵まれ、社会人としての基礎だけでなく、もともとやりたかった業務とは異なる分野で、日々仕事をこなしていく中で、貿易実務の基礎を実地で学ぶだけでなく、商社マンとしてどう生きるべきかを考えさせてもらった時期でもありました。

インドネシアで聞いた、忘れられない先輩の「予言」

しかし、そのバブルが弾け、財務の組織も縮小されることに。
このタイミングで、商社マンを志した動機にもなったプロジェクト部門から声が掛かりました。このころになると商社の財務としての仕事にも面白みを感じていた時だったので、残るか移るかで考えるところはあったのですが、最初に商社マンになりたいと思った学生の頃の気持ちに戻って異動することになりました。財務がバブルのつけの責任を取らされる逆風の時代に部を移ることに対して文句を言う上の人もいましたが、直属の上司は背中を押してくれました。

念願叶ってプロジェクト部門に異動したのですが、そこですぐにインドネシアの国家プロジェクトの担当者になりました。これまで縁も所縁もなかったインドネシアという国が、その後の私の人生を運命付けることになりました。私が駐在した1997年から2002年の期間はインドネシアという国にとっても激動の時代でした。過去40年間一度も変わらなかった大統領が、この期間だけで3人も交代する混乱ぶりでした。家族を日本に緊急避難させたり、私自身もシンガポールに一時退避することも経験しました。そんな中で、この巨大プロジェクトの中断から撤退まで携わる中で、商社の存在意義やそこで求められる能力というものを真剣に向き合うことを余儀なくされたのですが、そんな中でも多くの大先輩に東南アジアでのビジネスや古き良き日の商社マンについて学ばせてもらいました。

この時、駐在歴最多の大先輩にと言われたことが忘れられませんでした。
「東南アジアで仕事した奴は必ず東南アジアにもどって来る」
また、この時に考えた結果、ひねり出した答えは大事なのは肩書きやポジションではなく、自分にしか出来ないことを見つけることだということでしたが、諸先輩からは、人生をもっと楽しむことも背中で教えてもらいました。

事業失敗後に「望外の喜び」が

この案件からの撤退で、プロジェクト部門は二度と事業案件には手を出さないと会社に宣言しました。事業案件こそが自分の生きる道と思った私は悩んだ末に、これから事業案件に取り組んでいくことになる食料部門への異動を決意します。この時も、背中を押して声をかけてくれる先輩がいなければ、部門を移るなんてことは考えもしなかったでしょう。

食料部門に異動した理由には含まれていなかったのですが、ここでもまた国家プロジェクト級の国内流通企業の再生案件に携わることとなりましたが、その傍らで様々な事業案件を担当することも出来ました。事業案件というのが自分の専門性であり、生きる道だと確信することは出来たのですが、食料の案件は国内中心で、もう海外はないなぁと思っていました。
そんな時に、本部長の一声で海外案件の担当者に抜擢されることになりました。本部長とは過去に一緒に仕事をした訳でも、面識があった訳でもなかったのですが、私をその任に付けてくれたことは青天の霹靂でした。そして、再びベトナムの海外案件を任されることになり、案件が成立するとベトナムに駐在することになりました。

この時、あの大先輩の言葉を思い出しました。「東南アジアで仕事した奴は必ず東南アジアにもどって来る」。

このベトナム案件を実現し、拡大発展させていく流れの中で、オランダに持株会社を設立したり、ベトナムの経験を活かして立ち上げたプラットフォーム事業会社の社長職も経験することができました。そして、最後はここオランダに駐在することで私のキャリアを締めくくることになりました。コロナ禍の真っただ中に立ち上げることになったプラットフォーム事業は苦戦を強いられ、失敗案件となって会社に迷惑をかけたので、責任をとってどこかに飛ばされると思っていた私にとって、オランダしかも経験したことのないヨーロッパでの駐在を経験出来たことは、望外の喜びでしかありませんでした。これも誰かは分かりませんが、手を差し伸べてくれた人がいるに違いありません。

全ての人へ、心からの感謝を

これだけ色々な人が、私が夢のような商社マン人生を送るお膳立てをしてくれました。

最終的に、私の答えはありきたりになってしまいますが、神様ではなく、私に関わってくださった、そうした全ての人に感謝したいと思います。

そして、明日から始まる新しい人生も、また新たな出会いに恵まれることを願ってやみません。
長きにわたり、本当にありがとうございました。

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