昨年末の会合で、みずほ銀行産業調査部・欧州調査チームから、現在のドイツ経済についての説明を聞く機会がありました。概要は次のとおりです。
ロシア・ウクライナ戦争による安価なロシア産エネルギーの喪失、そしてナショナルセキュリティの観点から対中依存を低減させる必要性に直面し、ドイツ経済は製造業を中心に長く低迷してきました。こうした複合的な危機を脱し、経済を回復・成長軌道へと戻すため、ドイツは現在、次の3点を軸とした歴史的な構造転換を進めています。
第一に、財政規律の緩和と「拡張」への転換です。
危機を乗り越えるため、ドイツは長年堅持してきた厳格な「財政緊縮」路線から「財政拡張」へと大きく舵を切りました。憲法に定められた「債務ブレーキ」規定を緩和し、今後12年間で総額5,000億ユーロ(GDP比12%弱)規模の特別基金を創設することで、成長投資のための財源を確保する体制を整えています。
第二に、インフラと防衛という「2つのエンジン」による成長の下支えです。
確保された資金は、老朽化した交通・デジタルインフラへの投資と、地政学リスクに対応する防衛費の大幅な増額(2029年にGDP比3.5%)に重点的に配分されます。これらの投資は新たな成長エンジンとして機能し、ドイツの潜在成長率を従来の1.2%から1.5%程度へ押し上げると試算されています。特に防衛産業では、すでに受注残が積み上がり、長期的な経済の下支え要因となり始めています。
第三に、「完全復活」ではなく「構造転換」を伴う回復です。
もっとも、この回復プロセスは、かつての製造業大国としての姿に完全に戻るものではありません。エネルギーコストの高止まりにより、化学などのエネルギー多消費産業では生産拠点の海外移転や縮小といった「空洞化」が避けられない状況です。ドイツ経済の回復は、こうした産業構造の入れ替えという痛みを伴いながら、新たな形での自立と成長を目指すものだと説明されました。
細かな数字以上に印象に残ったのは、老朽化したインフラや地政学リスクに対応する防衛費という「投資の受け皿」があったからこそ、新たな成長エンジンを作ることができた、という点でした。では、もしこうした要因がなければ、ドイツはどのようにして内需を創出できたのだろうか、という疑問が自然と浮かびます。
消費者需要を簡単に生み出せるのであれば、誰も苦労はしません。そう考えると、「内需を伸ばすことが、やはり一番難しい課題だ」という実感が、あらためて強くなりました。この点について講師であるみずほ銀行のアナリストに尋ねたところ、返ってきた答えは極めてシンプルでした。
「今のところ、公共投資以外に有効な手段は見当たらない」
しかし、公共投資による内需喚起が容易でないことは、日本の経験を振り返れば明らかです。かつて日本が貿易黒字を理由に国際的な批判を受けていた時代、内需拡大策として打ち出された政策が、その後どのような結果を招いたかは、あらためて語るまでもないでしょう。金塊展示や豪華施設といった「ムダ遣い」の象徴だけが記憶に残り、実体経済への効果は限定的でした。内需を「作ろう」として作ることの難しさは、どの国にとっても共通の課題なのかもしれません。
こうしたやり取りの中で、ふと大学時代の講義を思い出しました。当時学んだ近代経済学、いわゆる「近経」の授業で紹介された、ジョン・メイナード・ケインズの有名な話です。
ケインズは1936年の主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、次のような趣旨のことを述べています。
「政府が古い瓶に紙幣を詰めて廃坑に埋め、それを民間企業に掘り返させても、完全雇用の回復には役立つ。もちろん学校や道路を作る方がずっと良いが、それが政治的に不可能なら、この方法ですら何もしないよりはましだ。」
有名な「金を山に埋めて掘り返せ」という比喩ですが、ケインズの論点自体は単純です。不況の本質は需要不足にあり、重要なのは「お金を使うこと」そのものにある。仕事の中身が非生産的であっても、所得が生まれ、消費が回れば経済は動く。失業を放置するよりは、穴を掘って埋めるような仕事であっても合理的だ、という需要創出の論理を、あえて挑発的に表現したものだったのでしょう。
それから40年余りが経ち、AIが人の思考を飛躍的に拡張できるとまで言われる時代になりました。金融もテクノロジーも高度化し、経済分析の手法は当時とは比べものにならないほど洗練されています。
それでも、現実に内需をどう生み出すかという局面に立ち返ると、やっていることの構造は驚くほど変わっていないようにも見えます。公共投資によって仕事を生み、人に所得を与え、消費を回す。その理屈は、40年前に教室で聞いた話と本質的には大きく違いません。
この事実を前にして、妙におもしろい気分になりました。世界は大きく変わり、技術は進歩し、社会の見た目は複雑になりましたが、人間が経済と向き合うときの発想や行動原理は、案外同じところを行き来しているのかもしれません。
そう考えると、時代が変わっても、人が考え、選び、動かしている中身そのものは、極端には変わっていない。その延長線上で今を捉えればいいのだとすれば、少し肩の力が抜けるようにも感じられます。

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