最近、ヨーロッパで活動するバロック音楽のアーティストたちの活動を、裏方として支援する役割を引き受けました。
情報発信や企画実施を通じて企業との関係づくりを行い、活動を広げると同時に、こうした実績をもとに資金集めを行う――いわばマネジメントサイドを手伝う立場です。
「なぜ、バロック音楽なのか?」
理由は明確です。バロック音楽が持つ本来の性質と、私たち日本人が無意識に持っている感性との間に、驚くほど幸福な「相性」を感じているからです。
バロック音楽が本来持っているもの
バロック音楽というと、日本ではあまりなじみがないと思います。
私自身もそうですが、日本でクラシックといえば、やはりベートーヴェン以降の交響曲のイメージが強く、バロックというと宮廷音楽の「古典音楽」「様式が厳しい」「敷居が高い」といった印象で語られることが少なくありません。
しかし、実際に本来のバロック音楽が持っていた性格は、もう少し違うものです。
私が惹かれたバロックの本質は、「日常性」にあり以下の4点に集約されます。
- 手作り感(職人技の温もり)
- 日常との距離の近さ(BGMとしての機能)
- 即興性(その場限りのライブ感)
- 完成されすぎていない「余白」
ベートーヴェン以降の音楽が「個人の英雄的ドラマ」を追求したのに対し、バロックは宮廷や教会、そして市民の生活の中で「機能と調和」を追求しました。
チェンバロの均質な響きは、時に情熱的すぎるロマン派音楽とは異なり、
「今日は何をしていたんだっけ」という私たちの日常の風景に、そっと溶け込んでくれる。
そんな距離感を持っているように思います。
バロック音楽は、そもそも「作品」として固定される前に、生活の中で鳴らされていた音楽でした。
“教会や宮廷だけでなく、人が集まる場で、その場その場に合わせて形を変えながら演奏されていた。”
今で言えば、もっと生活に近いところにあった音楽です。
本場ヨーロッパで起きていること
興味深いことに、本場ヨーロッパでもバロック音楽は大きな転換期を迎えています。 歴史があるがゆえに演奏様式が固定化され、「正しさ」が優先される。その結果、制度の中に保存され、少しずつ鮮度を失い、陳腐化しつつあります。
本来バロック演奏の中心地であるオランダでさえ、
バロック公演のプレーヤーは高齢化が進み、若い聴衆との接点が年々減少しています。
特に若者の間で定着しつつある
「バロックは古い」「難しそう」「お年寄りの音楽」
というネガティブなイメージによって、若い演奏家が「目指す理由」を失い、技術継承のルート自体が細り、志望者が現れない――そんな悪循環も起きています。
欧州・日本の双方で、いま「次の10年が勝負」と言われる転換期を迎えています。
「日本の感性」が欧州の現場を救う
こうした中、欧州の古楽界で重要な担い手となっているのが日本人演奏家たちです。
日本人はもともと、
- 完璧でないもの(わびさび)
- 作り手の痕跡が残るもの
- 日常に溶け込む表現 といったものに、強い親和性を持っています。
彼らの演奏は、ヨーロッパの聴衆に「新しい解釈」としてではなく、「バロックが本来持っていた血の通った姿」として受け入れられています。日本人が長い時間をかけて育んできた「日常の中に価値を見出す感覚」が、たまたまバロックの本質と重なり、現場で価値として機能しているのです。
なぜ私は関わることにしたのか
私が今回、裏方として関わることにしたのは、
この「相性」を、無理に主張するのではなく、正確に伝える手助けができると感じたからです。
バロック音楽を特別なものとして持ち上げるのではなく、
かつてそうであったように、もう一度日常に戻す。
過剰な意味付けをせず、過剰な説明もせず、ただ良さが伝わる形を整える。
これは、ビジネスの最前線で「価値をどう届けるか」を考え続けてきた私自身の役割であり、また日本人だからこそ果たせる貢献だと信じています。
日本の価値は、すでに機能している
日本の文化や感性は、しばしば自国では過小評価されがちです。
しかし、少なくともこの分野においては、日本人が無意識のうちに身につけてきた感覚が、すでにヨーロッパの現場で価値として機能していると思います。
日本人が長い時間をかけて身につけてきた感覚が、
バロック音楽の本質と重なっている――のだと、私は考えています。
人の手で作られるものを良しとし、
作り手の気配が残るものを受け入れ、
日常の中に自然に置かれているものに価値を見出す。
こうした感覚は、日本ではあまり言語化されず、評価の対象にもなりにくい。
一方で、ヨーロッパでは制度化や様式化が進んだ結果、逆に見失われつつあるものでもあります。
だからこそ、日本人演奏家や日本人の関わり方が、
- 「新しい解釈」ではなく
- 「本来そこにあったものを、そのまま差し出す行為」
として受け取られているのだと思います。
バロック音楽が、このまま「古い音楽」として静かに縮んでいくのか。
それとも、再び日常の中に居場所を取り戻すのか。
そのどちらに転ぶかは、演奏家だけでなく、
それをどう扱い、どう伝え、どう社会とつなぐかという周辺の動きにも左右されます。
自分が引き受けているのは、そのごく一部です。
ただ、日本人として、ヨーロッパの現場に身を置く者として、
この役割には意味があると感じています。
日本には、欧州でも通用する価値が、すでにあります。
それは、声高に主張されるものではなく、
静かに、しかし確実に機能させている価値だと思います。
今回の関わりは、そのことをあらためて実感させてくれました。

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