楽章間の拍手について考えた夜 〜オランダと日本、クラシックコンサートの習慣の違い〜

「コンセルトヘボウでの終演後、スタンディングオベーションと拍手に包まれるオーケストラ ライフスタイルの感性
「終演後、観客と演奏家が一体になった瞬間

久しぶりのクラシックコンサートへ

9月20日(土)にアムステルダム・コンセルトヘボウで開催されるオランダ・フィルハーモニー管弦楽団の結成40周年記念のオープニング・コンサートの招待状をラッキードローでゲット出来たので、久しぶりにクラシックコンサートに足を運びました。
土曜日の夜、アムステルダムのコンセルトヘボウに入ると、開門前にもかかわらずロビーはすでに多くの観客で賑わっていて、華やかな空気が漂っていました。開演前のざわめきの中に座っていると、「やっぱり生の音楽はいいな」と思わず口元が緩みます。忙しくって頻繁に足を運ぶことは出来なかったですが、この夜は懐かしい感覚に包まれる時間となりました。

アムステルダム・コンセルトヘボウ外観(開演前)
コンセルトヘボウ外観。今夜の舞台。
コンセルトヘボウのエントランス
エントランスの回転ドアから非日常へ。

オランダでの経験:楽章ごとの拍手

これまでオランダで体験してきたコンサートでは、第1楽章と第2楽章の間など、作品が完全に終わる前に拍手が起きる場面がしばしばありました。ベートーヴェーンやマーラーの交響曲のように、1楽章が長大で華やかに締めくくられると、その瞬間に客席から拍手が湧き上がるのです。

最初にその光景に出会ったとき、私はかなり戸惑いました。なぜなら、私たちの時代は小学校の音楽の授業で「拍手は全曲が終わってから」と教えられていたからです。実際に学校で演奏会に行く授業もあって「楽章の合間で拍手してはいけません」と繰り返し言われた記憶があります。それが常識だと思っていたので、オランダでの観客の反応には違和感を覚えずにはいられませんでした。

ホール内の雰囲気(着席直前)
着席直前のホール。期待と静けさが同居する。

もしかして習慣が変わっているのか?

とはいえ、よく考えてみると、クラシック音楽はヨーロッパが本場。つまり、こちらの習慣が「正しい」と言えるのかもしれません。
それを思うと、「最後まで静かに聴いてからまとめて拍手する」というマナーは、ある意味日本式で、日本で定着したものであったり、今のトレンドとして拍手しよう!ということになっているのなのかもしれません。そんなことを考えると、オランダのホールで見られる楽章ごとの拍手も、必ずしも“マナー違反”ではなく、伝統的な楽しみ方の一部とも言えるわけです。
でもそうなると、「じゃあ、どうするのがいいのか?」という疑問がわいてきました・・・・

色々と聞いてみた

という訳で、今はどうするのが良いのか?この人は聞き慣れていると思われるのか?ということでクラシック愛好家や専門家に聞いてみることにしました✋。
先ずは、私にオペラの楽しみ方を教えてくれた会社の先輩に聞いてみました。先輩は現在ニューヨーク駐在で、ニューヨーク・フィルに通っているクラシック通です。先輩によると、

・ ニューヨークでも「楽章の合間」で拍手は起こる。
・ 指揮者がそれをどう感じるかは、指揮者による。気分を害している指揮者はあまり見ない
・ 但し、曲による。指揮者も「ここは、拍手して欲しくない」という時は、その隙を与えない

この3つ目については、私もオランダで経験していています。終楽章に入る直前、指揮者がタクトを下ろさずに次の音を促すような仕草をしたので、観客はまだ続くのかと思ってタイミングを測ろうとした時にそのまま次の楽章に入ったんです。指揮者が曲の終わりの切り方でタイミングをわざと外したんだと思います。

また、演奏会でご一緒させて頂いたバッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木首席指揮者にも聞いてみたところ、「19世紀以前の演奏会では、観客は今よりもずっと自由に声を上げたり拍手をしたりしていたんですよ。モーツァルトやベートーヴェンの時代には、アリアの直後にブラボーと叫ぶのも当たり前だったとか」とのことで、拍手をしないというのはむしろ後からできたルールとのことでした。これは意外でした・・・・・

終演後のカーテンコール(近景)
演奏家と客席の呼吸が合う瞬間。

さらに調べてみると、ヨーロッパでも拍手の習慣は国やホールによってまちまちで、最近では「楽章ごとの拍手はマナー違反ではないが、必ずしも推奨されるものでもない」という考え方が広がっているとのことでした。

そういう訳で、私自身も最初は戸惑いながらも、回数を重ねるうちに「そんなものなのかな」と思うようになっていました。演奏家にとっても、すぐに大きな拍手を浴びるのは、客席の熱が伝わってステージがより盛り上がるという効果もあるかもしれませんので・・・・・

ところが、この夜は…

そんな私の“慣れ”を裏切るように、この日のコンサートでは一度も幕間の拍手が起こりませんでした。第1楽章が終わっても、第2楽章が終わっても、観客はじっと静寂を保ったまま。最後の音が消えた瞬間まで、息をひそめるように聴き入っていました。

正直に言えば、私は内心「次は拍手が起きるかな?」と少し構えていたので、妙に肩透かしを食らった気分にもなりました。なぜこの日はそうならなかったのか。演奏の性格なのか、プログラムの性質なのか、それとも観客層の違いなのか。いずれにしても、この「静寂」は特別なものに感じられました。

ホール全景(満場の拍手)
最後に一体となる拍手。幕間は静寂だった夜。

文化とマナーのあいだ

この出来事を通じて感じたのは、「マナー」というのは固定的なものではなく、文化や時代とともに変わっていくのだということです。日本で育った私にとっては「全曲終わってから拍手する」のが当然でしたが、ヨーロッパで暮らすようになって、その前提が必ずしも普遍的ではないと知りました。

そして、この夜の体験はもう一歩先の気づきを与えてくれました。つまり「どちらが正しいか」ではなく、「その場の雰囲気や音楽にふさわしいかどうか」が大切なのだということです。拍手は聴衆が演奏に応える自然な反応であり、同時に演奏の一部を構成するもの。だからこそ、指揮者や演奏家がつくる空気を尊重することが、最良のマナーにつながるのだと思います。

結び

コンサート体験は毎回大きく変わります。
演奏の力強さに思わず拍手をしてしまう夜もあれば、全員が息をひそめるように沈黙を守る夜もある。その両方にクラシック音楽の豊かさが宿っているのです。

拍手一つで、音楽は変わる。だからこそコンサートは生き物であり、毎回が新しい出会いがある。

音楽の聴き方に絶対のルールはない。大切なのは、その瞬間に流れる音楽と、同じ空間を共有する人々との呼吸を感じ取ること。その気づきを与えてくれた今回のコンサートは、私にとってかけがえのない時間となりました。

カーテンコールに湧く客席(側廊より)
終演後。鳴りやまない拍手。

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