欧州と東南アジア
インドネシアで5年、ベトナムで6年の駐在を経て、今回のアムステルダムは初めての欧州駐在になります。こちらに駐在してみて痛切に感じたのは、食品ビジネスにおいて日本企業のプレゼンスが圧倒的に低いという事実でした。東南アジアでは日本の食品は、高い品質と安全性に関する信頼を得ており、日本というだけでブランドでした。その結果、日本とは関係のない中国や台湾の企業が敢えてひらがなで商品名を書いた商品を販売したりしていました。
ところが、ここ欧州では現在和食ブームだと言われており、日本食を提供するレストランも増え、スーパーには寿司コーナーも出来ているにもますが、日本の企業名やブランドを街中で見かける音は殆どありません。もちろん、日本の品質やサービスレベルが欧州で売られている商品に比べて劣っているのであれば納得できます。しかし、どの角度から見ても決して劣ってはいない。むしろ多くの面で日本の方が優れていると感じます。にもかかわらず市場で存在感を示せていない現実には、強い違和感を覚えました。

この問題意識を背景に、以前ここで「和食ブームの担い手は日本企業ではなかった」という記事を書きました。そこで私は、日本企業が相手の土俵でしか戦えていない現状、そして「品質が良ければ必ず売れる」という信仰が依然として残っているだけではなく、足枷になっているということを指摘しました。さらに思想型ブランディングという日本ではあまり必要とされなかったマーケティング手法の欠如が、欧州市場での遅れにつながっていると考えています。
ただ、食品に関してはさらに根本的な違いがあると感じています。それは「食品をどう捉えているか」という文化的前提です。
日本では、食品も工場で生産される工業製品であるにもかかわらず、人の口に入るものであることから、特別な存在として扱われています。例えば自動車や絵レトロニクスという機械や日用品であれば、不良品が出るのは当然とされ、それをいかに管理しゼロに近づけるかに注力します。食品も本質的には同じであり、誰もがそのことを十分認識しているにも拘わらず、日本では「不良品は絶対に出してはいけない」という建前をまず掲げ、あたかも工業製品ではなく、ひとつひとつずつ人の手で作っているかのような前提でものを言います。これは日本人が食をある意味「神聖な領域」として認識していることの表れでしょう。
一方、欧州では食もビジネスの一部として、ある意味割って扱われています。あるセミナーで驚かされたのは、「この要素、例えば『環境負荷が従来に比べて10%低減します』と言えば、ここまではお金を払っても良いと考える層が、これだけ存在するので、この層をターゲットとして商品を投下すれば、これだけのビジネスが作れます」と、ビジネスのネタとしての「食品」、即ち商品として食品をみなして、それがどれだけの収益に結びつくのか?ということを隠さず平然と議論していたことです。日本企業であれば、どれほど収益に敏感であっても、食を前にして収益を公然と語ることはまずありません。そこには「美味しく、体に良いものを届けることこそ企業の存在理由である」という価値観が前提にあるからです。
つまり、日本は「食品は特別なもの」という文化的基盤に立ち、欧州は「食品も市場原理に基づくビジネス」として扱っている。この構造的な違いが、日本企業が欧州市場で違和感を覚える大きな理由だと感じています。この割り切りはなかなか日本人には出来ないこてとではないかと思っています。
しかし、だからといって日本企業が劣っているわけではありません。むしろ逆です。長年にわたって品質にこだわり抜いてきた結果、日本企業はすでに「平場の競争では負けない実力」を備えています。問題は品質の水準ではなく、戦略の後れなのです。現地の土俵に合わせた思想型ブランディングや市場戦略を磨けば、日本企業にはまだまだ戦い方が山ほどあります。
食品ビジネスで欧州における存在感が低いのは、品質不足のせいではありません。戦い方を誤っているだけです。今までは、アメリカとアジアを見ていれば欧州などなくても良い、そう考えられていた感がありますが、トランプ大統領が示した自国主義を貫くアメリカに危機感を感じたの私だけではないはずです。欧州には日本と相通ずるような文化・思想的な背景があり、日本との親和性は高いと思います。だからこそ、品質で劣っていないのですから、日本企業はもっと積極的に欧州市場に出てくるべきだと私は強く感じています。
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