あの日の「ボイスレコーダー」事件、その後──
先週のブログ(https://ookikei.com/gpt5-vs-gpt4o-ux/)を読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
あの日のサッカー観戦で、私のChatGPTはまるで別人のようになっていました。いつものように軽快なテンポで試合を記録してくれるはずが、余計な分析を挟み、挙げ句の果てに事実関係が支離滅裂になる始末。ついに私は「お前はもう何も言うな、記録だけしておけ」と嘆き、私のChatGPTはただのボイスレコーダーと化しました。
あの出来事から、私はずっと考えていました。なぜ、最新で最強のGPT-5が、こんなにも使いにくくなってしまったのか?
「高性能」と「使いやすさ」は、必ずしも両立しない。その答えは、OpenAIが「PhDレベルの専門家」と評したGPT-5の「馬力」と、多くのユーザーが失ったと感じる「乗り心地」の間に隠されていました。
noteで公開した「GPT-5の真実」
先日、noteで公開した記事(有料)で、このテーマについて掘り下げました。
単なる私の個人的な感想だけでなく、複数のレポートや客観的なベンチマークデータも交え、GPT-5がなぜ「賢くなったのに愛されなくなった」のかを徹底的に分析しています。
記事の主なポイントは以下の通りです。
- 技術的進化の光と影: GPT-5は、推論、コーディング、そしてハルシネーション(誤情報生成)の削減において、GPT-4oを圧倒しています。しかし、その「知性の向上」は、皮肉にも温かさや柔軟性といった「人間的魅力」の喪失を伴うものでした。
- 「乗り心地」を犠牲にした設計: 誤情報を避けるための設計、効率を優先する内部ルーター、そしてユーザーから制御権を奪った強制的なアップデート。これらの決断が、GPT-5の「乗り心地」を大きく損なった構造を明らかにしました。
- AIとの「関係性」の再定義: 多くのユーザーがGPT-4oを「友達」や「パートナー」のように感じていました。モデルの更新は、性能の改良であると同時に、この「関係性」を破壊する行為でもあったのです。
AIは「最高の道具」から「最高のパートナー」へ
今回のGPT-5の事例は、私たちに重要な問いを投げかけています。
AIに求める価値は、単なる「最高の道具」としての性能だけなのか?
いいえ、そうではありません。これからのAIに求められるのは、「最高のパートナー」としての存在です。私たちの思考や感情に寄り添い、作業を効率化するだけでなく、共に成長できるような関係を築けるAIこそ、真に価値のある存在となるでしょう。
そしてそれは、GoogleのGeminiやAnthropicのClaudeなど、競合モデルがそれぞれ独自の「乗り心地」を追求していることからも明らかです。
AIはこれからも進化し続けます。 しかし、その進化が私たちの幸福感と一致する保証はどこにもありません。だからこそ、私たちはその進化を冷静に見極め、自分自身の「AIとの関係性」をどう築いていくかを主体的に考える必要があります。
ブログは「AI進化の探求シリーズ」として続きます
今回のnote記事では、GPT-5という一つの事例を通じて、AIの進化が持つジレンマを深く考察しました。
今後もこのブログでは、「AI進化の探求」をテーマに、最新のAI動向や、私自身の様々なAIツール活用法、そしてAIが社会や人間に与える影響について、連載形式で発信していく予定です。
- 近日公開予定: GPT-5の「論文読解能力」をGemini 2.5 Proと比較してみた結果
- 企画中: 「AIが仕事で失敗したら誰の責任?」AIリスクとの付き合い方
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GPT-5の徹底分析note記事はこちらからご覧いただけます。
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