数字には意思が宿る──偶然と必然の間(あわい)で

川崎フロンターレ対浦和レッズ ルヴァンカップ準々決勝のスコアボード。3-2と表示される数字は、数字に意思が宿ると感じさせる象徴的な瞬間 コラム

数字には意思が宿る──ずっとそう思ってきましたが、昨日フロンターレの試合を観戦し改めてその思いが強くなりました。
数字は本来ただの記号にすぎないはずです。それでも、繰り返し同じ数に出会うと、そこに偶然以上の力を感じずにはいられません。まるでその数字が私たちを導いているかのように感じてしまうのです。


フロンターレと「3-3」の因縁

昨日の川崎フロンターレと浦和レッズのルヴァンカップ準々決勝2ndレグのゲームは、2試合終えた時点で2戦合計3ー3のイーブンとなり延長戦に突入しました。最終的には4ー3でフロンターレが準決勝進出を決めた訳ですが、私には、この「3ー3」や「4ー3」というスコアが繰り返し現れたことが妙に心に残りました。

20年前の記憶に呼び戻される「3ー3」

先ず、思い出されるのは2005年のJリーグ・ホーム開幕戦。J1に昇格したばかりのフロンターレが迎え撃った相手は、前年に年間2位となった浦和レッズでした。サポーターの声量や打ち鳴らす手拍子の音量に格の違いを見せつけられ、「これがJ1か」と実感した試合となりました。

このゲーム、後半80分を過ぎて2点のリード。「あのレッズ相手にシーズン緒戦で勝てる」と確信した矢先、立て続けに失点。そして結果は3ー3。歓喜から絶望へ、一瞬で感情がひっくり返る経験でした。フロンターレにとって浦和との因縁が始まったのも、この「3ー3」からだと思っています。

2021年ルヴァンでも同じ結末

それからさらに時間が経ち、2021年のルヴァン準々決勝も似た展開となりました。1stレグを1ー1で終え、ホームで迎えた2ndレグ。この時も2点差を付けてゲームは終盤に。1点を返され1点リードで迎えたアディショナルタイム、劇的な同点弾を浴びて土壇場で追いつかれてしまいました。当時はアウェイゴールルールがあり、これにより浦和が準決勝へ進むことに。この時のスコアは3ー3、2戦合計で4ー4でした。スタジアムに響いた重苦しい沈黙は、今も忘れられません。

直近のリーグ戦でも繰り返される「3ー3」

今季のリーグ戦では、ここ何試合かの中に、同じ数字が顔を出しています。名古屋戦では3ー3からアディショナルタイムに決勝点を奪って3-4で勝利。町田戦では終盤に3ー3に追い付かれても諦めずに再びリードを奪うと、ただ守るのではなく自分達のサッカーを信じて相手の怒涛の攻撃を跳ね返し、更にダメ押しの1点を奪うことで5ー3の逆転勝利。なぜか「3ー3」を経由して試合が大きく動く。もはや単なるスコアではなく、物語を作るトリガーのように思えてなりません。


数字に意味を見出す人間の性質

こうして振り返ると、単なるスコア以上の何かが「3-3」という数字には宿っているように思えてきます。もちろん、こうした感覚は私だけのものではなく、古代から多くの人々が数字に特別な意味を見出してきました。

数字は本来、数量を表すための無機質な記号にすぎません。けれど人間は、それを超えて「意味」を読み取ろうとします。宗教や神話、あるいは日常の暮らしの中で、数字はいつも特別な役割を与えられてきました。

「三」は安定や調和を象徴し、キリスト教の三位一体や日本神話の三種の神器にその痕跡が残っています。「七」は幸運の数字として世界各地に根を下ろし、一週間や虹の七色と結びついています。「八」は東アジアで繁栄を意味する縁起数とされ、「末広がり」という言葉が象徴的です。一方で「十三」は西洋では不吉な数字とされ、最後の晩餐や北欧神話にまでその由来を求めることができます。

心理学は、こうした傾向を「人間の心の働き」として説明します。雲の形に動物を見たり、壁のシミに顔を見たりするのがパレイドリア。無関係な出来事をつなぎ合わせてパターンを感じ取るのがアポフェニア。私たちは偶然の中に意味を探し出し、数字が繰り返し現れると、そこに必然性や意図を見てしまうのです。

確かに、これは一理ある説明です。脳が世界を秩序立てて理解しようとするがゆえに、数字に特別な意味を見出すのだ──そう言われれば、納得できる部分も多いのです。


それでも説明しきれないもの

こうした歴史的・心理学的な説明には確かに説得力があります。人間は偶然の中にパターンを探し、数字に意味を読み込む。言われてみれば納得できる部分は多いのです。

けれども、それですべてが説明できるでしょうか。
フロンターレと浦和をめぐる「3-3」がその典型です。なぜ「3-3」という数字が、フロンターレと浦和の節目ごとに現れるのか。なぜその数字のまわりに物語が凝集し、記憶に強く焼きついていくのか。偶然だと片づけてしまえばそれまでですが、繰り返される偶然を前にすると、私はどうしても「ただの心理的投影」としては納得しきれないのです。

私はそこに、数字の「意思」を感じます。数字は人間の認知に意味を与えられているだけではなく、むしろ出来事の流れを方向づける力を持っているのではないか──そんな感覚が拭えません。単なる心理の投影ではなく、数字が一種の引力を持ち、注意や行動を変え、さらにその数字を呼び込む回路を生み出す。それこそが「数字には意思が宿る」の意味です。


おわりに

数字は本来、数量を表すための無機質な記号にすぎません。しかし実際には、出来事を記憶に刻み、物語を形づくり、人の心を強く揺さぶる力を持っています。
歴史や心理学の説明で片づけられない部分があるから、私はこれからも考え続けるでしょう。

「数字には意思が宿る」


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