どこに軸足を置くかという話──長いフライトと、グランメゾン東京

長時間フライトの機内から見える夜明け前の空。価値判断の軸足について考える時間を象徴するイメージ。 ガバナンス・責任・意思決定

長いフライトと、グランメゾン東京

一時帰国の日本とオランダを結ぶ、例の長時間フライト。
デイ・フライトであれば、クラスもマイル使ってランクアップして映画を数本観て、美味しいものを食べてというのが第一選択肢になるのですが、ミッドナイト・フライトとなれば、半分以上の時間は寝ていることになります。特に、今回のフライトは北極点を通過する北回りでヘルシンキ経由でアムステルダムまでという経路になるので、羽田を夜の22時に出てヘルシンキに付くのは早朝4時過ぎという13時間のフライトで途中お日様を見ることはありません。となると、わざわざ良い席を選ぶ理由もほとんどありません。
という訳で、今回のプランとしては体のことも考えて6時間くらいは眠るようにして、あとの7時間をどう過ごすか?と考え、結論として大型のタブレット(14.6インチ)で好きな映画を2~3本見るというプランを立てました。

そこで、選んだ映画の1つがスペシャルドラマ・グランメゾン東京となりました。正確には映画ではなく、2時間枠のTVドラマです。しかし、このドラマ、本放送の時には見ていませんでした。
理由は単純で、これはその後に公開される「グランメゾン・パリ」の導入部分にあたるので、観ると、続きが気になるからです。映画となると、当然のことながらオランダでは公開されませんので、オランダに戻ってしまえば、次回帰国するか配信やメディアが発売されるまで見る術がなく、最短でも1年は見られません。なので―一時帰国のこのタイミングで、ドラマから映画まで一気に見てしまおう、そう決めていたからです。


冒頭の一言に、足を止められる

スペシャルドラマの冒頭。

「苦しいコロナ禍を戦い抜いた、すべての飲食業関係者の皆様にエールを込めて」

この一文を見た瞬間、正直に言えば一瞬だけ「随分前の話を、今さらだな」と感じました。
しかし、すぐに思い直しました。コロナの始まりはもう6年も前ですが、少なくとも日本において“正式に終わった”のは、わずか3年前のことです。

2020年から2023年までの3年間。
我々は、大げさな言い方をすれば、人類としてコロナ禍の中でもがき、あえいでいた時間を確かに生きていました。

今あらためて振り返ると、あの3年間は「本当に現実だったのか」と疑いたくなるほど、あらゆる感覚が歪んだ時代でした。飲食業界に限らず、社会全体が「正解のない状態」に放り込まれ、出口の見えないトンネルを手探りで進んでいた。そんな期間だったと思います。

それにもかかわらず、今ではその記憶が驚くほど遠くに追いやられている。
「あんなこともあったよね」と、まるで一昔前の出来事のように処理してしまっている自分に、強い違和感を覚えました。

あれだけの出来事でさえ、時間が経てば「そんな時代もあった」で片付いてしまう。
その事実は、我々が物事の軽重を測るために持っている量りが、いかにその時々の空気や雰囲気に左右されているかを、あらためて突きつけてきます。


正論として提示される「大きな視点」

冒頭でこんなことを思い出させてくれた物語は、クライマックス直前で2つの見解がぶつかり合います。北村一輝演じる大手企業傘下の「NEXマネジメント」の敏腕社長と主演の木村拓哉演じるシェフとのやり取りです。NEXマネジメントは「グランメゾン東京」と資本提携を結び、アジア人女性初の三つ星レストランのシェフの顔と名前とライセンスでフードブランドビジネスを広げて収益を拡大するのに対して、来てくれるお客様とシェフの創造性で幸せな空間を作ろうとする料理人とのやり取りです。

ここで敏腕社長から提示される一つの言葉。

「あんな店を守っても、喜ぶのは僅かな従業員とサプライヤーとカスタマーだけ。
もっと大きな視点で考えましょうよ。」

主人公の引き立て役である悪役のセリフとして聞けば、人の感情を逆撫でするセリフですが、好き嫌いの感情を抜きにして、経済を回していくという観点で見れば、明確に正論だと思います。

レストラン・食堂ということで言えば、似たような話があります。
個人でやっている評判の食堂が、オーナーの好きでやっている店だからからという理由で、採算度外視の価格設定や、規格外のボリュームで食事を提供した結果、顧客はその店に集中し、周りのチェーン店はこの店に合わせることは出来ないのでやがては撤退していった。この状態で数年が過ぎて、この個人経営の食堂が閉じた時、このエリアには他の食堂もなく住民は不便を強いられることとなった。そのエリア全体のことを考え、長期的な視野に立って考えれば、このオーナーのやっていることは必ずしも正しいとは言えず、もっと大きな視野で考える必要性はあるはずと言えます。

また、自分のビジネスに置き換えた場合でも、大きな市場を作らなければ、企業は関心を示さないし、企業が関心を示さなければ、市場も大きくならないというジレンマに陥ることは珍しいことではありません。マスを動かせなければ、市場にも、経済全体にも影響は与えられず、そこから世の中を動かし、変えていくことは出来ないのです。視点を内に向けることは決して悪いことではないですが、この地域だけ、この周辺だけ、自分達の家族だけとなっていく危険性は否定できないと思います。

なので、この視点を否定してしまえば、社会は簡単に立ち行かなくなると思います。


もう一つの見解──それでも残るもの

一方で、主人公であるシェフが立っている場所も、決して感情論ではありません。

「俺たちの儲けなんて、たかが知れています。
でも、お金のためだけにやっているわけではないんです。
お客様と作る幸せの空間が好きだからやってるんです。」

この言葉は、効率や規模を否定しているのではなく、優先順位の話をしています。
どれだけ合理的に見えても、どれだけ数字が整っていても、それが「やりたい理由」にはならない。料理人にとっては、来てくれるお客様と共に作る空間そのものが、仕事の核になっている。

「ひとつの皿に、一滴のソースに、莫大な手間とコストをかける。
普通に考えたら、正直、馬鹿ですよ。
でも、それが滅茶苦茶面白いからやってるんですよね。」

ここで語られているのは、「効率か非効率か」という二項対立ではありません。
効率では代替できない価値が、確かに存在するという事実です。

これらを、単なる職人気質や美談として片付けるのは簡単です。
しかし現実には、こうした人たちによって生み出される空間に人は集まり、記憶が残り、ときには人生の節目になる時間さえ生まれる。

市場を大きくする力ではないかもしれません。
経済全体を動かすほどの規模にもならないでしょう。
それでも、確実に誰かの人生の中に痕跡を残す


どちらを選ぶか、ではない

だから、ここでもまた「どちらが正しいか」という話ではなくなります。
市場を広げ、マスを動かし、社会全体に影響を与える大きな視点。
一方で、極端に小さな世界を引き受け、その密度を極限まで高める営み。
どちらか一方だけを選べ、という話ではない。
どちらも社会のどこかを確実に支えています。
それ故に、私はそのどちらにも与します。
どこに軸足を置くかは、人それぞれです。その人の立場や、その時代の状況によっても変わるでしょう。

我々は、そうした揺れを内包した世界に生きています。

ただし――
最後に主人公が口にした、この言葉だけは違います。

食べ物を粗末にする人間だけは、許せない。

これは立場の問題ではありません。
価値観の違いでもありません。
人としての話です。

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